山下達郎69歳。「テレビに出ない。本を書かない。武道館をやらない。」この「3ない」にこだわり続け、「一人多重録音」を得意とするトップミュージシャン。先日のテレビ朝日の深夜番組「KANJAM」に声だけの出演をされていました。

1970年代にレコードデビューするも3枚目のアルバム「GO AHEAD」を出した段階でミュージシャンとしての引き際を考えていたと言います。ところが何処にキッカケが転がっているのか分かりません。アルバムの中にあった「BOMBER」が大阪のライブハウスで支持され、一躍ヒットしたことで、予定していた音楽プロデューサーではなくミュージシャンを続けることになります。

多くのヒット作品がありますが、1989年に作られた「クリスマス・イブ」は今でも新鮮に歌い続けられる名曲の一つです。また1997年に18歳のKinKi Kidsのデビュー曲として提供した「硝子の少年」は、オリコンチャートで初登場1位とミリオンセールスを絶対条件として作られた曲だそうです。

ところが、それをセルフカバーした際は、大人の歌として少しだけ歌詞を変えています。そうしたアレンジも遊び心というか計算されつくしているというか・・・山下達郎なりの「曲はアレンジによって表情が全く変わってくる」「ピッチが正確な歌が面白いわけじゃない。その人が歌う歌が“歌”なのよ。音楽は人の色と表現によって全然違う」といった音楽哲学が面白い。

プロとして音楽に取り組む姿勢もすごい。今でもサブスクトップ50を毎日聴いて、音圧を聴き比べ、時代の音を聴き比べて、そして自分のスタイルをつくっているという話には圧倒されます。

そして何よりも感動したのが、海外でライブをやる可能性についての質問に、間髪を入れず「ありません!そんな暇があったらもっと日本のローカルタウンに行きます」との即答です。「自分たちは70年安保の時代に高校生だった。その世代の人達は大人になってから、また田舎に戻るUターン世代で、僕はそういう人たちのために音楽を作ってきた自覚がある」と言われます。

「僕がやるべきことは何か?ずっと考えている。ローカルタウンで真面目に働いている人たちのために公演する。それが僕に与えられた役割だ。自分が何のために音楽をやっているのか?自分が音楽をやる意味は何か?と常に問いかけないと、音楽家としてのスタンスが曖昧になる。それは嫌だ。」

「ポップカルチャーとは、基本的に大衆への奉仕と人間が生きることに対する肯定であり、市井の人々への奉仕に自分が音楽をやる意味がある」と言い切る山下達郎氏の言葉は、まさに“山下達郎主義”であり、一人のミュージシャンとしての「理念」です。それを現実化するプロ意識をあわせ、確固とした「想い」を69歳にあって追求し続ける、絶対にブレない姿はなんともカッコいい。

そしてまた自分が音楽をやる意味を考え続ける姿は、「何のために経営をしているのか」と自らに問いかけ続ける私たち中小企業経営者にとって、分野は違えども同様に共感できる刺激的な存在のように思います。11年ぶりに発売された山下達郎のアルバム「SOFTLY」をじっくり聴いてみたくなりました。

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

(吉村)